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くらげのあしあと

「くらげのあしあと」

水族館を出ても海の匂いがした。
この海にも、くらげはいるのかな。
少し海岸の近くへ行って、背伸びをして、海を見てみるけれど、くらげは見えない。
アキも海の方を見てる。アキの目はいつもどこか遠くを見てる。
ぼくはアキが見ているものを知りたかったけれど、ぼくにはアキが海のそばにいるのか海の中にいるのかさえわからない。

「鯨のあとに」

その町は海の底にあった。

カーは、ひとりでいることを選んでいるんだ。
世界で自分はひとりって顔をして。
これは悲しみだろうか怒りだろうか同情だろうか。どれとも似ているようで、どれとも違う。わっとせり上がってきた感情のまま手を伸ばしそうになって、すんでのところで思い留まる。
もしも手を伸ばしたら、もしも触れたら、……どうなるだろう?

くらげのあしあと

 水族館のその部屋は、くらげがたくさんいた。
 あっちでも、こっちでも、くらげがふわふわと浮かんでいる。
 水槽の一つでは、それほど大きくない、手のひらくらいのくらげたちが、たくさんの脚を揺らめかせている。
 自慢してるみたいだ。
 こんなに脚があるんだよって。

「くらげって、どんな足跡なのかな」
 ふと思ったことを口に出したら、アキは一瞬ぽかんとした。
「……くらげは地面を歩いたりしないから、足跡はつかないだろ」
「えー、海の中でちょっとくらい海底を歩くかもしれないじゃん」
「いや、くらげってのはふわふわ泳いで移動してるから、歩かないかな」
「えー?」
「いやだって、足ったって、あれだぞ、あの紐みたいな糸みたいなやつだぞ?」
「うんでも海の中だったらさ」
「や、だから、歩かないからあの細さでいいわけだろ?」
「そうなの?」
「そうだろ」
 自分の脚を見てみる。ジーパンをちょっと脚に沿わせてみる。
 くらげに比べたら、ずいぶんと太い。
 水槽の中のくらげたちは、相変わらずふわふわと浮かんでいて、たくさんの脚を揺らめかせている。
 自慢しているみたいだ。
 たくさんの脚を。その、脚の細さを。

 くらげを眺めていたらなんだか催しが始まって、映像に合わせてナレーションがくらげについて語り出した。
 脳も心臓も、骨もない。
 恐竜より昔からいる。
 海の月。
 幻想的な照明と映像と音楽、人間の声の中で、くらげたちは浮かんでいる。
 ふと隣を見たら、アキは周囲の映像を見渡している。たぶんナレーションはあんまり聞いてないんだろうな。そう思って、そんなことを考えている自分も聞いていないことに気づく。
 いつのまにか催しは終わって、ちょっと明るくなる。
 くらげたちは相変わらず、知らん顔をしてる。

 どれだけ見ていても、くらげたちはふわふわと浮かんでいる。
 ときどき頭から落ちてくけど、そのまま、頭で着地してまたすぐに浮かんでいく。地面に足を付ける気配はない。
「せっかく足があるんだから、歩いてみればいいのに」
「海の中じゃ、歩くより泳ぐ方が効率いいだろ」
「じゃあなんのために足があるの」
「捕食器官、ってゆーのかな、餌を取るためだろ」
「あの細い脚……腕? で、」
 あんな細いのに、狩りなんてできるんだろうか。
「毒があるんだよ」
 アキの静かな声が、まるで水滴が落ちるみたいにひやりと沁みた。
「毒」
「毒で相手を痺れさせるの。くらげによっては、人を殺せる」
「人を」
「夏の終わりは、くらげが出るから海に入っちゃだめって言うだろ」
「そうなの?」
「言うんだよ、くらげに刺されたら困るだろ」
 ここの外も海だ。
「まぁ、普通は痺れるくらい、ひどくてもやけどくらいらしいけど。でも、この近くの海でも、猛毒のくらげが出るってニュースになってたな」
「そうなの」
「そう。もう残暑だから海には入れないな」
 たいして残念そうでもなくアキが言う。
「すごい毒だよ。自分より何倍も大きい人間を殺せるんだから」
 人間にも、毒はあるだろうか。
 ひやりと滲みて、人を殺すような。
 くらげたちはぼくたちの会話なんて知らない顔で、ふわふわしてる。

 水族館を出ても、海の匂いがした。
 この海にも、くらげはいるのかな。
「くらげって、寿命短いんだよな」
「そうなの?」
「たしか。一年くらいじゃなかったかな。短いのだと一日とか」
「一日」
 それは、とても短い時間に思える。何かをすることも、誰かに出会うことも、何かを言うことも、……何かを思うことも、できないくらいに。
「どうしてそんなに短いの」
「さあ……まぁでも、俺たちにとっては短くても、くらげにとってはそれがちょうどいい時間なんだろ」
 それがなんでかは、わかんないけどさ。
 軽い調子で言うアキの顔はまじめだった。
 海を見るアキには、何が見えてるんだろう。海の中を泳ぐくらげ? それとも海の中にいるのはアキ?
 アキの目はいつも、どこか遠くを見てる。
「まぁたしかに、俺たちの感覚だとさみしいかもな。寿命は短いし、何も、足跡だって残らない」
 ぼくたちの足跡だって、きっと残らないよ。
 そう言いかけて、でもアキの顔を見てやめた。アキはきっと、そんなこととっくに知っている。

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