- 20200816発行
- A5(ミシン綴じ)/32p/¥900-
- 通販(架空ストア)
通りすがりの地球人
宇宙人、なんて自分には関わりのない話だ。
地球にだってふつうに来てるとテレビは言うけれど、俺は見たことがない。きっとこの先もないだろう。宇宙人だって、その辺のただの大学生に用はないだろうし。テレビや雑誌でときどき特集されてるのを見ても、正直よくわからない。くらげみたいに腕だか脚だか何本も生やして浮いてるやつ、某ゲームのはぐれメタルみたいなやつ、枯れ木にしか見えないやつ――現実感がなさすぎる。
夏の日射しは暑くて溶けそうだ。アスファルトは黒々と溜め込んだ熱を発していて、貧相な街路樹は大した日陰にならない。大学へ向かう歩道には人の姿はほとんどない。そりゃそうだ。夏休みのそれも真っ昼間の中途半端な時間に大学に行くやつはそういない。部活は朝からだろうし、大学生以外だって、わざわざこんな暑い時間に出歩いたりしないんだろう。午後一時、なんて時間を待ち合わせに指定してきた奴をちょっと恨みながら炎天下をぽつぽつ歩く。ぜってーアイスか何か奢らせてやる。
「もし」
聞き覚えのない声だった。
ほかに人通りもないし自分に向けてなのかと思わず立ち止まって見渡したけれど、誰もいない。……空耳か?
「もうし」
もう一度。同じ声。
また見渡してみるけどやっぱり誰もいない。歩道の自分の周囲には誰もいないし、植え込みやちょうど自分の真横に立つ街路樹に鳥すらいない。
首を傾げたとき、
「もうし、そこの方」
さっきよりはっきりと聞こえた気がする。それも自分の目線の正面、つまり街路樹から。
「暑くておかしくなったかな……」
何がって、俺の頭が。
「幻聴ではありません。わたしです」
その声はきっぱりとそう言った。
目の前の木をじぃっとためつすがめつしてみると、木のこぶのように見えていた部分が、ふるふると揺れた。よく見れば枝とはちょっと色が違う、気もする。
「ここにおります」
「……だれ」
こぶがするすると少し移動する。ぷるぷる・ぶよぶよした生き物(たぶん)。どろりってほどじゃない、形はある。真ん中が盛り上がっていて、いくつか突起のようなものもある。何かに似てる気がする、なんだっけ、……メンダコ? とか言ったか? いや、メンダコは海にいるやつだよな? その辺の木の枝にはいないよな?
「あなた方が宇宙人、と呼んでいるものの一種です」
「宇宙人」
宇宙人が、俺に何の用だ。
「はい、ちょっと道をお尋ねしたく」
…………およそ平凡な二十歳の男子大学生でも、宇宙人と関わることはあるらしい。たとえば、道を訊かれるとか。
メンダコ(仮)の目的地は、出会った道からだと大学の向こうにある博物館だった。大学の中を通り抜けた方が近道なので連れて行ってやることにした。我ながら初対面の宇宙人に親切だなと思う。メンダコ(仮)は俺の隣の地面をするすると這っていく。器用に、地面の色に合わせてくるくると色を変えながら移動している。
「博物館なんて行ってどうすんの」
「学ぶのです」
「なにを」
こいつが行こうとしている博物館に俺は行ったことがない。何が展示されているのかもよく知らない。
「この星で繁栄と発展を誇っているヒトというものが、この世界をどう捉えているのかを」
「人間が、この世界をどう見てるのか、ってこと?」
「まぁそんなところです」
……今、ちょっとバカにされた気がする。
「それ知ってどうすんの」
「ヒトのことをある程度知ることができます」
「ヒトを知りたいの?」
なんで? という俺にメンダコ(仮)は変わらない調子で答えた。
「この星において、かなり広く分布していますし技術も発展させている種です。ひとまず、科学技術という点ではこの星で一番の種と言っていいでしょう」
まるで何かの講義のような口振りだった。
「よそから来た者としては、この星で一番力があると思われる種について知っておこうとするのは当然のことです」
「そういうもんか」
ええ、と言うメンダコ(仮)がまるで頷いた気がしたがまぁ気がしただけだろう。
「この星で一番を自負する種であれば、よそからやってきた種を排除しようとするかもしれませんからね」
「……え?」
「そうならないために、もしそうなっても対抗できるために、我々はその種のことを知っておく必要がある。技術だけでなく、世界をどう捉えているのか、その思想も」
「……そういう、もんか」
ええ、と言うメンダコ(仮)はやっぱり頷いた気がした。
「生存競争というのは厳しいのですよ」
言い含めるようにメンダコ(仮)が言ったとき、博物館の前に出た。
「ありがとうございます」
突起がわさわさと揺れる。お辞儀だろうか、それとも手を振るみたいなことだろうか。もしかしたら、全然違う意味かもしれないけど。
「では」
メンダコ(仮)は博物館の入口へ向けてするすると地面を這っていく。
「元気でな」
呟くような音量だったつもりだけど、メンダコ(仮)は振り返った――たぶん。メンダコ(仮)にも正面はあるだろう――。
「あなたも」
なんだか予想外で、何も返せずにいるとメンダコ(仮)は
「生存競争は厳しいですからね」
と言ってまた入口へと這っていった。
笑っていたような気がするが、きっと気のせいだろう。
およそ平凡な大学生でも宇宙人と関わることはある。たとえば、道を訊かれるとか。俺も博物館へ行って学んだ方がいいだろうか。あぁでも俺が学ぶべきは人間じゃなくてメンダコ(仮)か?
「……ないな」
思い出して時間を見たら一時だった。広い校内、指定された場所までは暑い中走りたくないのでたぶん五分くらいかかるけど、ま、いいだろ。そうだ、アイス奢らせるんだ。