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Les danseurs

Michel

 練習、練習、練習――
 僕らは毎日練習する。Tシャツ、タイツ、バレエシューズ、バーに手を置いて、センターで、僕らは練習する。毎日、毎日。
 授業としての練習が終わった後も、ミシェルは練習する。
 繊細な金の巻き毛、透き通るような白い肌、細く長い手足、青い瞳、紅い唇、整った小さな顔、ミシェルは美しい。
 細身の身体で誰よりも高く跳び、誰よりもブレずに回り、正確なパで踊る。ミシェルは踊りも美しい。
 夕日の射す稽古場で一人踊るミシェルは誰よりも美しい。
「ほんと、ミシェルは時間があれば踊ってるよな」
 ポールが僕の隣から覗き込んで言う。
「ああ。……一番上手いのにな」
 人より練習する必要なんてないくらい。ミシェルは美しくて、上手い。もう何度も主役を踊ってる。
「あいつにとっては足りないんだろ」
 ミシェルの踊りを見たままポールが言う。
「花を咲かせるまでは」
 そうだ。ミシェルは、僕らはそのために踊っている。僕らは種を持っているのだから。花を咲かせるまで、練習しすぎてもしすぎることはない。
 白いTシャツを何枚もよれよれにして、タイツを何足も擦り切らして、バレエシューズを何足も何足も履き潰して、まだ足りない。
 夕食の時間になってミシェルが踊り終えるまで、僕らは教室の扉の窓から観続けていた。引き込まれるような、目を逸らせないような、ミシェルの踊りはそんな踊りだ。いろんな人の踊りを数え切れないほど観てきている僕らでも、どうしても観てしまうような。
 そういう踊りができるミシェルは、それでも人より練習しようとする。ミシェルだけじゃない、ポールだってグレゴだって、たくさんたくさん練習してる。
 気が遠くなるほど、気が狂いそうなほど練習を積み重ねて、舞台に立って、また練習する。
 その繰り返しが嫌にならないことも、甘えないことも、才能なんだろうと思う。
 そういうことを、夕食の席で言ってみたら、
「ある意味、狂ってるとも思うけどな」
 最上級生のポールは、なんだか笑ってるような顔と口ぶりで言った。
「……自分だってものすごい練習してる癖に」
 そう返したら、同じ顔と声のまま「だからだよ」と言った。僕にはよくわからない。

 翌日も、夕方の稽古場ではミシェルがひとり踊っていた。
 汗にまみれたTシャツを脱ぐ。美しい体。そのほどよく筋肉の付いた胸元には刺青のように痣が広がっている。ある意味刺青だ。僕らがここにいる理由。種を宿している証。ミシェルだけじゃない、ポールにも僕にもほかのみんなにも場所は違えど同じ痣がある。種を持つ僕らは、花を咲かせるためにここで踊っている。

「ミシェル見てない?」
「いや……、なんで?」
 昼休みの中庭。サンドウィッチの具は僕は野菜、ポールは鶏肉、トマは昼ご飯ではなくカメラを持って僕らの前に立っている。
「撮るのか?」
 僕の一学年下、ミシェルと同級生のトマは写真が好きで、ときどきほかの生徒の踊りを撮っている。
 昼休みなんだし飯食えよ、と言うポールにトマは首を振った。
 トマによれば、ミシェルが教科の授業に出ていないらしい。
「珍しいな。あいつ真面目なのに」
 人一倍練習するミシェルは、踊ることになんて関係なさそうな授業にもちゃんと出る。真面目なんだと思う。もしかしたら、それも花を咲かせるために必要なことだと考えてるのかもしれないけど。それくらい、ミシェルは花を咲かせるために一途だ。
「なんか最近変なんだ、あいつ」
 うつむいたトマの頬にまつげの影が落ちる。子供っぽい顔が、不安げに歪んでいた。
「変?」
「授業は上の空だし、食事や睡眠は摂ってるみたいだけど、ほかのことには興味がないっていうか……とにかく、踊ることにしか興味がないみたいなんだ」
 僕とポールは顔を見合わせて、また二人してトマの顔を見た。ポールが言う。
「……いつものことじゃないか?」
 ミシェルはずっと、踊ることにしか興味がないような奴だ。僕らが知る限り――つまりミシェルが入学してからずっと。
「違うんだよ!」
 トマの大声に周囲の生徒たちが振り返るけど、本人は気づかない。
「そんな、いつものとは違うんだ。あいつはどんな授業だって真面目に聞く奴だし、ましてやサボったりなんかしない。……最近、自主練の時間が長くなってて」
 ポールが立ち上がった。
「ポール?」
「なら、練習してるんじゃないか?」
 はっとした顔でトマがポールを見る。驚いているとか気づかされたとかいうより、恐怖みたいだと思った。恐怖? 何への?
 三人で校舎を見て回る。練習室はどこもミシェル以外の誰かが使っていた。よく誰かが練習に使ってる空きスペースで踊ってるのも、ミシェル以外の誰かだった。今度の公演に出る人たちや、試験に備える人たち、ミシェルのように時間があれば練習したい人たち――この学校には、練習してもし足りない人たちばかりいる。
「あとどこだ?」
「あ」
 トマがふらふらと歩き出す。
「トマ?」
 校舎の隅、人気のない階段。
「屋上に行きたいって言ってたことがあるんだ」
「鍵かかってるだろ」
 階段の一番上、扉は少し開いていて、僕らは顔を見合わせて、でも誰も何も言わなかった。ポールが取っ手を持って押すと、キイ、と嫌な音を立てて開いて、
「ミシェル!」
 トマが叫んで駆け寄る。
 屋上の床には大輪の白い薔薇の花。
 大きく美しい花を咲かせたミシェルがいた。汗をかいた身体が横たわり、花の下の顔は陶磁器のように美しく、気高い。
「ここで踊ってたのか」
 白いTシャツ、タイツ、バレエシューズ、よれよれのいつもの練習着なのにまるで衣装のように見えた。神々しく照明を浴びて踊るミシェルの姿を、僕らは思い浮かべることができた。

 ここは舞踊学校だ。主にクラシックバレエを踊る。種と踊りの才能を持つ少年だけが世界中から集められる、全寮制の小さな舞踊学校。生徒たちは校外の人たちからは花の踊り子たちとも呼ばれている。
 僕らは踊りの才能を磨くことで種を育て、才能が頂点に達したとき、種は持ち主の命と引き換えに花を咲かせる。それはここに集う少年たちが得られる最大の栄誉。――そのために、僕らは練習を重ねるのだ。

「眠ってるみたいだ」
 ミシェルの額に口づけたアンリ・ミシェルが言う。ミシェルの体は冷たくなっているけど、穏やかなその顔はただ眠っているだけみたいに見えた。
「眠ってるんだよ」
 そっと言うポールの声は慰めたり気遣ったりという感じではなくて、まるで本当にそうみたいに聞こえた。
 ミシェルの棺は校内にある庭園の一角に埋葬されて、僕らは校舎に寮に戻る。棺のミシェルという名前の下に掘られた名前を僕は見ない振りした。学校でもらう名前で呼ばれる僕らは、ミシェルが親につけてもらった名前を一度も呼ばないままだった。
「今年は初めてだな」
「まぁ、ミシェルは咲かせると思ってたよな」
「あーあ、俺はできんのかなー」
 また、練習の毎日だ。花を咲かせた仲間への憧れといくらかの嫉妬。まだ花を咲かせられない僕らは練習を積み重ねるしかない。

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